質問力
最近はてブ界隈で人気の、
「コピーライターとしての資質を一瞬で見抜く」ための、たった一つの質問という記事について。
うなずくところはあるのだけど、この質問で「おぬし、やるな」という答えを返す人がいたとしても、
1、やまほど目を通しているわりには、自分ではクリエイトしない(できない)奴が紛れ込むんじゃないか。
2、世間知らずのくせにとんでもない輝きを放つ天才肌の人間は見抜けないのではないか。
という疑問が湧く。だから、資質とはいっても、明日から机を並べて仕事する仲間を選ぶような、同じ水準でものを考えられるかどうかは計れても、本当に一番大事なことはおそらく分からないんじゃないかなー、と。何か課題出して、答えを生み出す過程を記述させて思考の軌跡をみたほうがまだ確実な気がする。アイデアが光る人は、そもそも考え方がうまいことが多いから。
・・・・と思ったが、この質問の狙いは、別のところにあるような気がしてきた。業界スレしたコピーライター志願者は昔からそれこそ山のように居るわけで、評価が確立したような作品を挙げるのはプロならもう聞き飽きていているはず。そこでは、答えのセレクトに見える展開の幅の以外にも、おやっ、と思うようなで誰も気付かない切り口の見方を持っているかどうかを見ようとしているんじゃないか、と。これならクリエイティビティの片鱗が見える。だから10個なのか。即座に思い付く最初の方よりも、残りのセレクトの方が大事と見た。
「コピーライターとしての資質を一瞬で見抜く」ための、たった一つの質問という記事について。
仲畑さんの質問は「あなたがいいと思うコピーを10個書いてください」というものである。仲畑さんによれば、この答を聞いただけでだいたい能力がわかるというのである。
<中略>
よいコピーが生み出せるかどうかは、世に出ているコピーの良し悪しを見分けるセンスと密接に関連している。審美眼があれば、自分の作ったコピーがよいものか判断できる。よくないものであれば、もっとよいコピーを思い出してブラッシュアップしていくだろう。
<中略>
具体的かつ本質的な非常にすぐれた質問といえよう。この質問は応用がきく。
うなずくところはあるのだけど、この質問で「おぬし、やるな」という答えを返す人がいたとしても、
1、やまほど目を通しているわりには、自分ではクリエイトしない(できない)奴が紛れ込むんじゃないか。
2、世間知らずのくせにとんでもない輝きを放つ天才肌の人間は見抜けないのではないか。
という疑問が湧く。だから、資質とはいっても、明日から机を並べて仕事する仲間を選ぶような、同じ水準でものを考えられるかどうかは計れても、本当に一番大事なことはおそらく分からないんじゃないかなー、と。何か課題出して、答えを生み出す過程を記述させて思考の軌跡をみたほうがまだ確実な気がする。アイデアが光る人は、そもそも考え方がうまいことが多いから。
・・・・と思ったが、この質問の狙いは、別のところにあるような気がしてきた。業界スレしたコピーライター志願者は昔からそれこそ山のように居るわけで、評価が確立したような作品を挙げるのはプロならもう聞き飽きていているはず。そこでは、答えのセレクトに見える展開の幅の以外にも、おやっ、と思うようなで誰も気付かない切り口の見方を持っているかどうかを見ようとしているんじゃないか、と。これならクリエイティビティの片鱗が見える。だから10個なのか。即座に思い付く最初の方よりも、残りのセレクトの方が大事と見た。
答えを生み出す前の質問の仕方が大事だというのは同意で、自分でも普段から強く意識している。デザイン教育の場合で言えば、インプットの目を養うための訓練が必要で、どうやったらその力は鍛えられるかを考えるのが教員の仕事だ。そこでは選抜するためじゃなくて、固定観念に揺さぶりをかけるために問う。
事例として書いてみよう。僕がやっているグラフィックデザインの演習では、まず人間は情報を変換する生き物だということに気付いてもらった後、外に目を向ける練習をしている。
講評時にこれをスクリーンで見た他の学生は、ちゃんと答えになっていることを理解する。同時にこんな小さな所をキャッチできる級友に驚き、自分の観察眼が足り無
かったことを悔やむ。こんな感じで、同じ条件で取り組んだ他人との答えを比較する中でちょっとずつ目の付け所や伝わることの客観性を学んでいる。これまで当たり前だった日常生活の中で、自分一人で気付かなかった工夫されたことに気
がつけるようになるのは、普段プログラム書いているコースの学生らでも割と面白いものらしい。
ところで、デザインにしてもコピーにしても、そもそも「資質」とか「センス」は試験で計られるためにあるものじゃなく、本当は自ら発揮するためにあるはずなので、そこのところを見誤ってはいけない、と思う。
事例として書いてみよう。僕がやっているグラフィックデザインの演習では、まず人間は情報を変換する生き物だということに気付いてもらった後、外に目を向ける練習をしている。
「おお、これは上手い」と、思わず唸った視覚言語の適用例を3つ以上見つけてレ ポートしてください。そしてどこらへんがどうよいのか、みんなに良さが伝わるように語ってく ださい。(第3週目に出した課題の選択問題 1週間)どこにでもありそうなピクトグラムは面白くも何ともない、どうせなら俺をぎゃふんといわせてみやがれ、と言い残してあるので、該当するようなものを見つけ るのは結構難しいのだけど、観察力の高い学生はそれなりに面白いところを見つけてくる。たとえば、以下のような写真(2007年度後期の学生作品より)。
講評時にこれをスクリーンで見た他の学生は、ちゃんと答えになっていることを理解する。同時にこんな小さな所をキャッチできる級友に驚き、自分の観察眼が足り無
かったことを悔やむ。こんな感じで、同じ条件で取り組んだ他人との答えを比較する中でちょっとずつ目の付け所や伝わることの客観性を学んでいる。これまで当たり前だった日常生活の中で、自分一人で気付かなかった工夫されたことに気
がつけるようになるのは、普段プログラム書いているコースの学生らでも割と面白いものらしい。ところで、デザインにしてもコピーにしても、そもそも「資質」とか「センス」は試験で計られるためにあるものじゃなく、本当は自ら発揮するためにあるはずなので、そこのところを見誤ってはいけない、と思う。
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>やまほど目を通しているわりには、自分ではクリエイトしない(できない)奴
とは僕のことです。本当にありがとうございました(笑
商業デザインを行ってみて、初めて痛感しております。
しかし上平先生のブログはいつ見ても見やすい・・・
どこに違いがあるのか解らないまま、日々をすごしております。