インフォグラフィックスのもう一つの意味

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先週のインフォグラフィックスワークショップのことを書いたついでに、せっかくなので「図でしか示せないこと」の例も挙げておこうと思う。インフォグラフィックスは、ユーザに向けた情報のデザインにおいて常に最適な方法というわけではないことは押さえた上で、この手法を僕が好きなのは、物事を違うフレームでみるということと密接に関係しているから。

つまりある見方から情報を編集するということであるが、このことに対して、僕は「切り口」という言葉をよく使っている。果物も切る角度によって全然違う断面の模様が見えるように、情報のかたまりも切り方それぞれで違う姿を見せる。

以前、TubeGraphicsの事務所を訪問したときに、木村さんの流儀を聞かせて頂いたことがあるが、その時に聞いた「視点」という考え方は、その辺をさらに上手く説明する方法だと思う。下の画像は、木村さんがインフォグラフィックスの演習の導入に使っておられるという手製教材である。

DSCF4349.jpg
通常は、自分の視点というのは四角の枠に目が収まっているようなもので、その枠の中からひとつの方向を見ているものだけれども、伝えるべき物事の姿をよく捉えるために枠から意識的に飛び出させ、360度眺め倒しながら「どう見せるかの」最適な視点を探すことが大事なのだよ、と語っておられたことを思い出す。(うろ覚えで申し訳ないです)「メタ認知」とかの難しそうな言葉を使いそうなところでも、噛み砕いた言葉とともにイメージしやすいように実際にかたちで見せるところが流石だと思った。

で、インフォグラフィックスは、特にユーザー評価でわかりやすさを検証しつつ発達してきた分野ではないので、デザイナーの個性や趣味によって変わった試みもたくさんあったりする。特に、松田行正氏の作品はユニークな題材が多く、眺めていると情報は混沌としており、実に「わかりにくい」。

たとえば、先日入手した20年前の古本、「絶景万物図鑑」。
一冊丸ごと奇妙なダイアグラムでまとめられている本だ。

ban1.jpg
ban2.jpg中身はこんな感じ。歴史的な建築の系統図。

ban3.jpg「うどん」を食べる経験のダイアグラム(笑)。謎すぎる。


ban4.jpg
人間が投げる「もの」の飛距離をギネスブックからデータを集め、放物線を一覧化した図。

こうして見てみると、図解マニアでも言うべきか、ほとんど職人技の世界だな・・・。決して読者に理解してもらうことから逆算してこういう表現方法を採ったってわけじゃなさそうで、わかりやすさだけを第一に考えるならお勧めできそうもない。でも、松田行正氏の図には、ささいな事象であっても、こんな切り方があったのか、というような眼の付け所に心底驚かされることが多く、その辺が僕にはとても興味深い。(ファンなので、牛若丸出版の本はだいたい持っている)思いやりのデザインを考えるのも好きだけど、普通の見方と違った世界を感じさせる実験的なことも好きなのだ。自分が閉じてしまわないために。

30〜40年ぐらい前のグラフィックデザイナー達が作ったダイアグラムを見ていると、複雑なものも非常に多く、編集者もデザイナーも構造的に表すこと自体に美意識を見出していたフシがあるが、たぶん、時代背景的にも新しいビジュアルコミュニケーションの文法を編み出すためにいろいろと模索されていたのだろう。そんな中で生み出された知的遊戯っぽいグラフィックスが楽しまれた時代もあった。

大御所デザイナーの中垣信夫氏は、こんなことを言っている。

百科年鑑の年表形式のダイアグラムは縦軸と横軸、それぞれがしっかりした構造を保ちながらそこに多くの文字・記号・図の情報が入ってくる、いわば「読むダイアグラム」とでも呼べるものでした。
<中略>
それが衰退していった一因には、世の中の風潮として瞬時に一目で理解できるものへの要求があるのだと思います。情報のテレビ的とでもいえる一方的受容のような自体が一般化してきた。しかし、人々の言語活動においても、あるいは視覚的に図表化する際にもわれわれの意識を記号化する作業が必要です。
中垣信夫インタビュー|Idea324(pp.034)

人々の情報への接し方が変われば、理解の方法もすこしづつ変わっていくということで、空間認識による理解を基盤にしているインフォグラフィックスも、今後立場が怪しくなっていくのかもしれないな。このへんはいろいろ考えることがあるのだけど、それはまた別の機会に。


ついでに、僕がやっている講義でも、わかりやすさを主目的としてではなく、現実世界の見方を広げるためのトレーニングとしてのインフォグラフィックスに一週だけ取り組んでいる。自分たちの「時間割」を一定の"ものさし"によって歪める(編集し直す)という小課題で、マス目が整然と並んだただの「表」でしかないものの奥に、何を読むかどう表すかを考えるものである。「先生の好き嫌い」とか「面白い面白くない」の主観を省いて、なるべく客観的に量れそうなデータを中心に、という指示を出している。いくつか課題作品を紹介。


map1.jpg教室の中に、自分が座っている位置で編集し直した学生。擬似的な教室空間に、その時間の自分に見立てた講義のコマがマッピングされている。学生もいつも同じ場所に座る訳じゃなく、自分の興味や難易度に応じて席が変動していることがわかる。


map2.jpg教室の大きさと混み具合に着目した編集した学生。仕事は粗いものの、時間割りの枠が教室の大きさに、字の大きさが人数に。それぞれ絶妙に対応している。受講している教室毎に環境の差異があるのが見える。



map5.jpg 教室の位置とフロアを基準に、毎日のキャンパス内の移動をどのようなルートを取っているかにそって組み替えた学生。時間割に対応して、日々、ルーチン化した移動が伴っていることに気付かされる。

map3.jpg課題を出したと思ったらまた課題が出て、・・・のサイクルで一週間が過ぎていくという日常。積もったり減ったりする半径に日々の時間外工数が見える。


map4.jpg教室毎の先生のマイク声量の違い。スピーカーのコーンが大きさと対応している。水曜2限の先生と木曜1限の先生ではずいぶん違うようだ。

こんな感じで教壇に立つ側からは時間通りに学生は着席していて当然、と錯覚しがちだが、学生の側としては切れ目なく続く一週間のある部分でしかないわけで、自分の活動を中心としたメンタルモデルが形成されていることに改めて気付かされる。学生らの時間割の裏にあるリアリティは、教員にとっては知り得ないことばかりで、大変面白い。

これは直接見た人の役にたたない情報ではある。でも、「あたりまえ」と思いこんでいる情報でも組み替えれば見えてなかったことに気付くことは山ほど有って、そういうことをフレームを切り直して発見できる目を養って欲しくて、こういった課題をやっている。そして、表現の制約として特に、客観的に記述出来る「ものさし」を重視しているのはこれは、ルールがしっかりしていれば応用次第でプログラム化できるってことでもある。情報探索などの新しいアクセスの仕方などの発想に繋げられるんじゃないかな、と思う。

以上、「ユーザ中心でない」「わかりやすくない」けど、物事を違うフレームでみるインフォグラフィックスの例である。この辺は図でしかできない伝達方法として意味がないわけじゃないけど・・・ニッチな価値なのでしょうな。


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牛若丸出版はぼくも大ファンです。

前回のインフォグラフィックスのリフレクションは秀逸でしたね。

ぼくは途中でしんどくなって書きかけです。
やっぱプロにはかなわないですね。

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このページは、kamihiraがOctober 7, 2008 5:00 PMに書いたブログ記事です。

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