思い出になる前に
先日、話題になったハンディカムのプロモーションサイト「Cam with me」を見ていた時に、ふと気付かされたこと。画面をクリックして撮影したその瞬間は部屋の中のありふれたショットだったりして「こんな他愛のない映像撮っちゃったよ」って感じたものでも、最後のエンディングでムービーに特別なものとして仕上げられた時に、誰もが「撮っておいて良かった」とつい涙腺をゆるませられてしまう。そんな記憶に残りにくい日常的な場面にこそ、実は記録することの重みがあるのかもしれない。
だれもが、飲み会や旅行の集合写真はあっても、端末室で机を並べてせっせと勉強している時の写真は少ない。殺伐とした〆切前の雰囲気も、過ぎればもう過去のこと。人生は早いね。
#怒られそうなので加工してみた。
後期の日程は終わって大学はガラガラになったけど、うちの4年生はみんな3月の学外展に向けて頑張っている。人間、数日怠けるだけで勘は狂っていくものだし、気持ちを持続していくことが大事なことだと思う。ちょっとでも良いものにしていこうとする諦めない姿勢は、春からの新しい仕事にも必ず繋がっていくだろう。
そういえば自分も卒業式の早朝にまで必死こいてコンペに間に合わせるために絵を描いていたなぁ。アクリル絵の具の飛沫がつきまくった革靴をしばらく履いていたっけ。才能がないって痛感してたからこそ、負けたくなくて人が遊んでいる時も必死で努力していたような。
さて、「記録」繋がりで思い出したが、下の写真は、3年ほど前に学生時代にお世話になった先生の退官記念パーティで見たもの。友人のアルバムから拝借。
だれもが、飲み会や旅行の集合写真はあっても、端末室で机を並べてせっせと勉強している時の写真は少ない。殺伐とした〆切前の雰囲気も、過ぎればもう過去のこと。人生は早いね。
#怒られそうなので加工してみた。
後期の日程は終わって大学はガラガラになったけど、うちの4年生はみんな3月の学外展に向けて頑張っている。人間、数日怠けるだけで勘は狂っていくものだし、気持ちを持続していくことが大事なことだと思う。ちょっとでも良いものにしていこうとする諦めない姿勢は、春からの新しい仕事にも必ず繋がっていくだろう。
そういえば自分も卒業式の早朝にまで必死こいてコンペに間に合わせるために絵を描いていたなぁ。アクリル絵の具の飛沫がつきまくった革靴をしばらく履いていたっけ。才能がないって痛感してたからこそ、負けたくなくて人が遊んでいる時も必死で努力していたような。
さて、「記録」繋がりで思い出したが、下の写真は、3年ほど前に学生時代にお世話になった先生の退官記念パーティで見たもの。友人のアルバムから拝借。

通路に模造紙で張り出されたこの写真群は、H先生がずっと撮りためていた過去の学生達のスナップだ。在職された20年以上の年度ごとに分けてズラリと並べられている。パーティの前、有志の手によって週末に集まり記憶を手がかりに顔を判別しながら手分けして作業したんだそう。それぞれの年度の模造紙の前で同窓会が始まり、あちこちで歓声が上がる。写真の中とはみんな顔も体型も変わっちゃっているが、それも全部ネタ。
別にH先生はいつかこういう展示をするために意図的に撮っていたわけじゃないだろうし、単に年月が過ぎるのに合わせて自然に貯まっただけなんだろう。もしかしたら処分に困った写真束だったかもしれない。でもこうして貴重な機会に一覧化された時、我々はみな一枚の写真毎にかつて共有した経験に再び触れるようで嬉しかった。そして模造紙の繋がりを眺めてみれば、一人の人間が老いと引き替えに関わった経験の集積として壮大なライフログを目撃しているようで、なんだか圧倒される。
積み重ねることで生まれる価値、か。
僕が撮った写真は、そのうちハードディスクごと飛んで消えるんだろうけど。幻もまたよし。
別にH先生はいつかこういう展示をするために意図的に撮っていたわけじゃないだろうし、単に年月が過ぎるのに合わせて自然に貯まっただけなんだろう。もしかしたら処分に困った写真束だったかもしれない。でもこうして貴重な機会に一覧化された時、我々はみな一枚の写真毎にかつて共有した経験に再び触れるようで嬉しかった。そして模造紙の繋がりを眺めてみれば、一人の人間が老いと引き替えに関わった経験の集積として壮大なライフログを目撃しているようで、なんだか圧倒される。
積み重ねることで生まれる価値、か。
僕が撮った写真は、そのうちハードディスクごと飛んで消えるんだろうけど。幻もまたよし。
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なぜ人は写真を撮るのだろう?
以前、グループインタビューだけじゃなくて、ご自宅に伺って、普段どこに写真をどのように保管していているのか見せていただいたりとフィールドワークしたことがあります。
都心にお一人で住む元キャリアウーマン、郊外に住む年金生活のご夫婦、小学生のお母さん、女子高生・・・。
多くが記念写真だけど、プリクラからケータイまで、何気なく撮った写真もシャッターを押すことで無意識に生きた証を残そうとしていると思いました。
そしていつかそれを誰かと共有したいという気持ちがあるのでした。共有できた時が自分の生きた証の再確認。その安心のために。
そういう気持ちの薄れた人は写真を撮らなくなる、ということも。
表現手段はいろいろあるので、写真を撮る行為は存在欲求の一つの手段でしかありませんが。
フィルムの時代とは異なるにせよ、だからこそ、写真はその人にとっての宝物のはずです。
このエントリーを読んで、思わず書き込まずにはいられなくなりました。
HDDの中の画像、入っていることが大事だと思います。
丁寧なコメント有り難うございます。
さすがに深くつっこんで調べておられますね。
生きた証、なるほどたいへん興味深い話です。
"証"というからには、何時の日かそれを行う期待がありますものね。他者承認、自己承認のいずれにせよ。
おなじフレームの中に収まるときのお互いが許諾しあう意識も同じ所につながっている気がしました。
>だからこそ、写真はその人にとっての宝物のはずです。
むむ、とすると「処分に困ったものかも」といい方は言い過ぎだったと思います。失礼しました。