「これからのユニバーサルデザイン」 シブヤ大学 磯村歩氏講演
6/20の午前中のこと。シブヤ大学で磯村歩氏の授業「これからのユニバーサルデザイン」に出席するために幡ヶ谷まで行ってきた。開催を磯村さんのブログで知ってシブヤ大学のウェブから速攻で申し込んだが、結構な倍率だったようであっさり抽選を外れてがっかりしていると、偶然にも某筋から救いの手が。なんと磯村さん直々に関係者席をひとつ準備してくださった。恐縮です・・・。
呼んでいただいてながら毎度遅いレポートで申し訳ないが、ちゃんと記録を残しておこう。
シブヤ大学は渋谷の街全体がキャンパスという仮想の大学で、画期的な試みが最近かなり注目されている。学生(参加者)もみんな熱心で朝からぎっしりと満席だ。右が磯村氏で、左は同時手話通訳の人。磯村さんはプレゼンの本を書かれているだけあってスライドのデザイン、ジェスチャー、声量すべてが講演内容を的確にサポートしておりプレゼン方法としても大変興味深いものだった。
少々の感想とメモ。
呼んでいただいてながら毎度遅いレポートで申し訳ないが、ちゃんと記録を残しておこう。
シブヤ大学は渋谷の街全体がキャンパスという仮想の大学で、画期的な試みが最近かなり注目されている。学生(参加者)もみんな熱心で朝からぎっしりと満席だ。右が磯村氏で、左は同時手話通訳の人。磯村さんはプレゼンの本を書かれているだけあってスライドのデザイン、ジェスチャー、声量すべてが講演内容を的確にサポートしておりプレゼン方法としても大変興味深いものだった。
1.「ユニバーサルデザイン」について
2.今の「ユニバーサルデザイン」って大丈夫?
1)便利だけがユニバーサルデザイン?
2)解釈が広がるユニバーサルデザイン
3.障がい者を別の言葉で表現すると?(対話)
4.これからの「ユニバーサルデザイン」
1)障がい者を起点にした新しい価値創造
2)「音だけのプレゼン」と「音がないプレゼン」の実演
講演内容のスライドが磯村さんによって公開されてます。
少々の感想とメモ。
■磯村さんによると、「障がい者」とは人をとりまく環境を固定して考えていることが前提になっているそうで、その環境が変わると立場も変わりうる、という。例えばスキューバダイビングのように水中で音声言語が遮断された環境においては、普段の聾者と健聴者の立場とは変わるし、そこで誰もが視覚言語としての手話の価値に気付くことになる。そのように固定された環境から視点を変えれば、そこを起点にしてこれまでの視点からは見えなかった価値が見えるのではないか、と。
■あるべき共生社会の構図の参考事例として紹介された、視覚障がい者と晴眼者の相互対話による美術鑑賞は面白かった。晴眼者は絵の中に何が書かれているかを視覚障がい者の人に向けて言葉で説明し、対話していく中で、一人では気付かなかった絵の中にある情報や見方に気付いていく。そして最後にお互いは、「教えてくれてありがとう」「気付かせてくれてありがとう」と感謝しあって別れる、という一種のワークショップのようなもの。
■なるほど。普通の人は自分が当たり前にできることをなるべく無意識化していく癖がある。単純に弱い立場として捉えるのではなく、自分の生きている立場からではまったく気付かないこともいくらでもあるということ。双方がお互いの違いを学び合いながら生活環境の可能性をさぐることとして、ユニバーサルデザインの意義があることを学んだ。
■後日、磯村さんとお話する機会があったときに、エコデザインにしてもユニバーサルデザインにしても、なんだか最近「オサレ」という付加価値がついている気がしてならない、一部の取り組みにはどこか偽善めいた違和感を感じてしまうということを聞いてみた。磯村さんは「そりゃ"段階"があると思うよ」と即答された。入り口の段階では多少イメージ先行があったとしても、それを一概に否定するのではなく、まずはそういった問題に気付く人を増やさなければ、はじまらない。そしてまず振り向かせて問題に関わる中で段階的なきっかけをつくって、徐々に深い意味を理解していけばいいのだ、と。そういう考えてみればまたとらえ方も変わってくる。ゼロかイチかでストップしていた自分の思考の浅さが恥ずかしい。
■障がい者といえば、先日NHKの番組で爆笑問題のニッポンの教養:福島智氏の回(動画)を見た。福島氏は全盲聾のハンディを持つ東大教授である。「絶望=苦悩−意味」「苦悩があるから、しんどいから不幸だって簡単に考えるのではなくて、意味をそこに見いださせれば、それは絶望ではない」という言葉に感動した。逆に言えば、どんなに物質的に恵まれていてもそこに意味を見出すことができなければ、心は満たされないままだろう。天に与えられた境遇の中に、たとえ小さくても自分なりの物語を見出そうと、そういう気持ちを持つことこそが、誰にとっても最も価値ある"経験"なんだろう、と思った。
関連:
イソムラ式「シブヤ大学関連資料」
シブヤ大学内授業紹介ページ
■あるべき共生社会の構図の参考事例として紹介された、視覚障がい者と晴眼者の相互対話による美術鑑賞は面白かった。晴眼者は絵の中に何が書かれているかを視覚障がい者の人に向けて言葉で説明し、対話していく中で、一人では気付かなかった絵の中にある情報や見方に気付いていく。そして最後にお互いは、「教えてくれてありがとう」「気付かせてくれてありがとう」と感謝しあって別れる、という一種のワークショップのようなもの。
■なるほど。普通の人は自分が当たり前にできることをなるべく無意識化していく癖がある。単純に弱い立場として捉えるのではなく、自分の生きている立場からではまったく気付かないこともいくらでもあるということ。双方がお互いの違いを学び合いながら生活環境の可能性をさぐることとして、ユニバーサルデザインの意義があることを学んだ。
■後日、磯村さんとお話する機会があったときに、エコデザインにしてもユニバーサルデザインにしても、なんだか最近「オサレ」という付加価値がついている気がしてならない、一部の取り組みにはどこか偽善めいた違和感を感じてしまうということを聞いてみた。磯村さんは「そりゃ"段階"があると思うよ」と即答された。入り口の段階では多少イメージ先行があったとしても、それを一概に否定するのではなく、まずはそういった問題に気付く人を増やさなければ、はじまらない。そしてまず振り向かせて問題に関わる中で段階的なきっかけをつくって、徐々に深い意味を理解していけばいいのだ、と。そういう考えてみればまたとらえ方も変わってくる。ゼロかイチかでストップしていた自分の思考の浅さが恥ずかしい。
■障がい者といえば、先日NHKの番組で爆笑問題のニッポンの教養:福島智氏の回(動画)を見た。福島氏は全盲聾のハンディを持つ東大教授である。「絶望=苦悩−意味」「苦悩があるから、しんどいから不幸だって簡単に考えるのではなくて、意味をそこに見いださせれば、それは絶望ではない」という言葉に感動した。逆に言えば、どんなに物質的に恵まれていてもそこに意味を見出すことができなければ、心は満たされないままだろう。天に与えられた境遇の中に、たとえ小さくても自分なりの物語を見出そうと、そういう気持ちを持つことこそが、誰にとっても最も価値ある"経験"なんだろう、と思った。
関連:
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