Diary: April 2008アーカイブ
土曜日のパソコン組み立てワークショップのあと、4年生らが多摩川河川敷でBBQやっているというので遊びに行ってきた。その時聞いた話。よくわからないが、ケータイをキャラクター化して、名前まで付けているんだそうだ。
「○○くんっていうの♪」
「なんじゃそりゃ」
「異性のキャラ設定をしよう、ってルールなんですよ。私の携帯は男の子で、たとえば先生のだったら女の子に。」
「うーむ、一体なにゆえにそんなことを」
「だって、愛着わくじゃないですか」
「まぁ相棒みたいなものだからねぇ。肌身離さず一緒にいると思えば・・・・」
「楽しいです」
「ところで、そのキャラ設定考えるのは難しくないの?」
「なんか友達から(バトンのように)項目が回ってきました。細かい質問に自分で答えていくうちに、具体的なキャラが出来上がります」
「おお、質問紙があるとは。それはすごい。」
「あ、ちゃんと顔もあるんですよ、ほら。この携帯のカラーリングに合わせてあるの、わかります?(写真)」
「これも、自分で描くの?」
「いえ、(設定に合わせて)友達が描いてくれました」
「ひょっとして、そういう遊びは流行ってたりする?」
「いえ、(この学部の)この辺の仲間うちでは、私だけです」
去年の今頃、検索エンジンが擬人化された例(俺サーチ、ツンデレサーチ)を思い出すが、感情移入という点では検索エンジンより携帯のほうが自分のために仕事してくれてる、という実感が遙かに強そうだ。しかも小型デバイスの利点として手の中での触覚的なやりとりがある。バイブ機能が進化して、ぎゅっと握りしめたり撫でたりを応用したような触覚インタラクションを妄想したが、携帯が自律的に振る舞ってユーザがやりとりを楽しめるようなような、親しみやすさを演出する仕掛けがあると、ある層には受けるのかも知れないな。(知らないだけで、もう有るのかな?)
ケータイは生身の人間同士の遠隔コミュニケーションツールとしてだけじゃなくて、人間と知的システムとの動的なコミュニケーションの一面もあることを少し考えさせられる。このへんを最もシビアに考える必要があるのはロボットデザインの分野だと思ってたけど、ロボットより先に、ケータイがエージェント化する未来の方がなんだが近そうな気がしてきた。
「○○くんっていうの♪」
「なんじゃそりゃ」
「異性のキャラ設定をしよう、ってルールなんですよ。私の携帯は男の子で、たとえば先生のだったら女の子に。」
「うーむ、一体なにゆえにそんなことを」
「だって、愛着わくじゃないですか」
「まぁ相棒みたいなものだからねぇ。肌身離さず一緒にいると思えば・・・・」
「楽しいです」
「ところで、そのキャラ設定考えるのは難しくないの?」
「なんか友達から(バトンのように)項目が回ってきました。細かい質問に自分で答えていくうちに、具体的なキャラが出来上がります」
「おお、質問紙があるとは。それはすごい。」
「あ、ちゃんと顔もあるんですよ、ほら。この携帯のカラーリングに合わせてあるの、わかります?(写真)」
「これも、自分で描くの?」
「いえ、(設定に合わせて)友達が描いてくれました」
「ひょっとして、そういう遊びは流行ってたりする?」
「いえ、(この学部の)この辺の仲間うちでは、私だけです」
去年の今頃、検索エンジンが擬人化された例(俺サーチ、ツンデレサーチ)を思い出すが、感情移入という点では検索エンジンより携帯のほうが自分のために仕事してくれてる、という実感が遙かに強そうだ。しかも小型デバイスの利点として手の中での触覚的なやりとりがある。バイブ機能が進化して、ぎゅっと握りしめたり撫でたりを応用したような触覚インタラクションを妄想したが、携帯が自律的に振る舞ってユーザがやりとりを楽しめるようなような、親しみやすさを演出する仕掛けがあると、ある層には受けるのかも知れないな。(知らないだけで、もう有るのかな?)
ケータイは生身の人間同士の遠隔コミュニケーションツールとしてだけじゃなくて、人間と知的システムとの動的なコミュニケーションの一面もあることを少し考えさせられる。このへんを最もシビアに考える必要があるのはロボットデザインの分野だと思ってたけど、ロボットより先に、ケータイがエージェント化する未来の方がなんだが近そうな気がしてきた。
手短に言おう。僕たちが発見したのは、人とコンピュータ、テレビ、あるいは新しいメディアとの関係は、現実世界における関係とおなじぐらい基本的であり、社会的かつ自然なことであるということ。「基本的」ってところがポイントだ。人間は誰しもメディアを社会的で自然なさまざまな法則に従うものとして捉えている。ここでいう法則とは、どれももともとは人間どうしの関係であり、人が現実界とどう関係するかという研究から得られたものだ。ところがそのいずれもがメディアにも同じように当てはまるんだ。
人はなぜコンピュータを人間として扱うか---「メディアの等式」の心理学

いつもサントリーの「南アルプスの天然水」を買ってながら、あの中指と薬指が絶妙にフィットするさりげない「くぼみ」(がついてるボトル)に名前が付いていることを初めて知った。ゆびスポットボトルという名前が付いてる。
左利きとしてはこういう配慮があまり役立たないことがあるが(20年ぐらい前、ポストウォーターのグリップボトルを持ったときは悔しかった)、右手と全く同じ条件で持ちやすいのが素晴らしい。
関連記事:左利きの人が左利き向け道具が使えなかった件
左利きとしてはこういう配慮があまり役立たないことがあるが(20年ぐらい前、ポストウォーターのグリップボトルを持ったときは悔しかった)、右手と全く同じ条件で持ちやすいのが素晴らしい。
関連記事:左利きの人が左利き向け道具が使えなかった件
新入生向けのパソコン組み立てワークショップをのぞきに行ってきた。
昨年度の模様。
立派に教えている2年生らを見てびっくりした。
自分が普段見ている範囲だけで人を判断してはいけないことを思い知る。
昨年度の模様。
ところで、いつも感心するのが、関係者の巧みな連携プレイの姿。教職員は段取りをすませ、業者が材料を準備し、サポート待機。あとの運営は完全にア シスタントの上級生だけで、各新入生たちの制作グループを指導している。そして次の年には育った新入生らがアシスタントをつとめる、というサイクル。
立派に教えている2年生らを見てびっくりした。
自分が普段見ている範囲だけで人を判断してはいけないことを思い知る。
学生らをパチリ。露出を調整し忘れたらアンダー調になったが、偶然それがイイ感じ。
青春ですね。
青春ですね。
月曜日のこと、2年生の基礎演習の一環で小学5年生が大挙して大学に来た。去年とほぼ同様の企画なので、内容については昨年の記事を読んでいただきたいが、小学生にviscuitを教える時の学生らの姿にちょっと感心した。子供達と目線をあわせるために、知らず知らずのうちにこんな靴の裏見せる体勢になっているのだと思う。腰も膝も痛いよねぇ。
その体勢を厭わない気持ちと床に接している脚の長さに、約10年間の人間の成長の年輪を見た。
その体勢を厭わない気持ちと床に接している脚の長さに、約10年間の人間の成長の年輪を見た。
夜の向ヶ丘遊園の商店街を歩いていたら、ビデオインスタレーションをやっていた。なんだか不思議な磁場を形成しており、思わず吸い寄せられた。ひっそりとしたビルの谷間で、白衣を着た人の淡々とした音声が響く。
階段の上にある塾の宣伝の一環のようだ。閉じられた教室だと階段の下まで雰囲気が伝わらないので、外に中継して流しているのか。と思ったら、これはサテライトの講義のようで、どこかの大きな会場でやっているものを教室に中継し、それをついでに外に流しているらしい。つまり、階段上がってもこの人はそこに居ず、またそこでも映像の中にいるわけだ。
テレビだと思えば当たり前なんだろうけど、化学の授業という特殊なコンテンツが商店街の空間まで浸食しているのは非常な違和感が・・・。
階段の上にある塾の宣伝の一環のようだ。閉じられた教室だと階段の下まで雰囲気が伝わらないので、外に中継して流しているのか。と思ったら、これはサテライトの講義のようで、どこかの大きな会場でやっているものを教室に中継し、それをついでに外に流しているらしい。つまり、階段上がってもこの人はそこに居ず、またそこでも映像の中にいるわけだ。
テレビだと思えば当たり前なんだろうけど、化学の授業という特殊なコンテンツが商店街の空間まで浸食しているのは非常な違和感が・・・。
浜松に立ち寄ったついでに、春華堂の工場、通称「うなぎパイファクトリー」に連れて行ってもらった。ここは是非行ってみたかったのだ。かのうなぎパイの製造工程は、ベルトコンベアが整備されているものの、一番重要らしいパイ生地をこねる工程はなんと職人による手作りだったことに驚く。撮影はできなかったが、上から工場の全景を見下ろすと、出来上がったばかりのうなぎパイがひゅーんひゅーんとリズミカルに流れていき、なかなか壮観だ。驚いている多くのギャラリーに見られていることで、工場のおばちゃんたちも心なしか得意そう。随所にテーマパークのような仕掛けをしてあって、帰る頃にはもううなぎパイのファンになってしまう・・・という不思議な工場だった。
思わず感心して、
「製造工程をコンテンツにして客を呼べるなんて、この仕組み考えた人凄いなぁ」
と呟いたところ、連れて行ってくれた人曰く、
「車の工場なんかもこうなっているよ。ちゃんと作ってるって宣伝になるだろ」
とのこと。
うーむ、世間知らずだったか。
亀山工場が有名になったように、工場だって仕掛け方次第でブランディングになるのだな。
お土産に、真夜中のお菓子・うなぎパイV.S.O.Pを買ってきました。
参考:うなぎパイ小話「夜のお菓子ってどういう意味なの?」
思わず感心して、
「製造工程をコンテンツにして客を呼べるなんて、この仕組み考えた人凄いなぁ」
と呟いたところ、連れて行ってくれた人曰く、
「車の工場なんかもこうなっているよ。ちゃんと作ってるって宣伝になるだろ」
とのこと。
うーむ、世間知らずだったか。
亀山工場が有名になったように、工場だって仕掛け方次第でブランディングになるのだな。
お土産に、真夜中のお菓子・うなぎパイV.S.O.Pを買ってきました。
参考:うなぎパイ小話「夜のお菓子ってどういう意味なの?」
はてブで話題の記事、「最近の女子中学生の携帯の使い方」が気になった。
他の話は、大学生でもあんまり変わらない気がする。フツーに接してて、まあ分かる話が多いかも。
しかも実演してるのまで。
↓証拠写真
Softbank の子は例外で、家に着いた途端彼や友達と通話しっぱなしにする。しゃべらないで、ゴソゴソとか音だけを流してるぽいへぇ、これはすごい。親しい人の気配を感じるために空間をゆるく接続してるってことか。遠隔コミュニケーションのコストが下がったからこそ生まれた使い方だ。こういうアウェアネス情報によるコミュニケーションってわりと研究者が試したりしているけど、特別にデバイス開発しなくても自分でユーザは手元の機器で安価に実現し始めている・・・。うーむ、デザイナーが意図したことを飛び越えて、ユーザ自身が使い方を編み出していく「余地」ってことを考えさせられる話だ。(とはいえ、そんなに他人と繋がっていたいってのはおじさんには理解不可能だが)
他の話は、大学生でもあんまり変わらない気がする。フツーに接してて、まあ分かる話が多いかも。
ブーンとかモナーをわら半紙にアナログに描いてる笑。いるいる。
しかも実演してるのまで。
↓証拠写真
すっかり放置していてすみません。ぼやぼやしていたらいつの間にか新学期で、また新しい毎日が始まる。春休みにすべきことをたくさんぶっちぎってしまったが、今年も変わらず忙しくなりそうだ。
本年度やることとして、大学の仕事以外に、
・他校の先生方との情報デザインフォーラムの活動
・高校生向けデザイン教材開発
がとりあえず別々の研究プロジェクトとして確定で、
それに加えて、最近あるきっかけで即興劇(インプロビゼーション)に関心が湧き、デザイン教育への導入を狙って関連書籍を取り寄せて調査中。近々、研究費で友人の俳優をインストラクターにやとって自主ワークショップをやる予定。
あと、今年のゼミ生にはいろいろと腕利きの奴らが集まったので、彼らと協力していくつかの研究と研究室発のコンテンツを作れれば。(諸君、やるぞ!)
大学の方では、隣の研究室(G14)に、気鋭の教育工学の研究者である望月先生が赴任してこられた。学習科学にも大変詳しい人なので、これから学内での実践をベースにいろいろと面白いことが話せそう。
今年も元気に働けますように。
