Diary: July 2008アーカイブ
大学からはすっかり学生の姿は消えたが、教員はまだまだ仕事だらけの日々が続く。明日までに成績つけて、今週末はオープンキャンパスか・・。ところで、通勤途中に通りがかる野菜直売所がずっと気になっていたので、先日停車して立ち寄ってみた。川崎には今でも一部には野菜畑や果物畑が残っていて、裏の道路をドライブしているとあちこちに直売所を見つけることが出来る。ここは農家の方が個人的にやっているごく小さな店だ。午前9時から12時の3時間しか営業してない。
今の時期はトウモロコシが旬なようで、、並んでいた客から「5本!」「10本!」と声が上がって、バンバン買われていく。ちょうど僕の手前で売り切れてがっかりしていたら、農家の人が「ちょっと待っとれ」と、カゴを抱えて目の前の畑にタタタと走っていき、数本摘んできてくれた。たとえ川崎市の畑であっても、採るところを見ていればおいしさ倍増。甘くて美味しゅうございました。僕らは料理と一緒にストーリーも食べている。
地図ではこの辺。お近くの方どうぞ。
「ふむふむ」と「むふむふ」は、同じ文字なのになんでこんなニュアンス違うんだろう。
真面目なメールで打ち間違ったじゃないか。
ついでに、一つの意味から違う意味が生成されてしまう、コミュニケーションを破壊するアナグラム機能付きメールソフトを構想した。
「きちんと」→「チキンと」→「とんちき」
みたいな。
・・・・すみません、あまりの暑さに頭がやられました。
真面目なメールで打ち間違ったじゃないか。
ついでに、一つの意味から違う意味が生成されてしまう、コミュニケーションを破壊するアナグラム機能付きメールソフトを構想した。
「きちんと」→「チキンと」→「とんちき」
みたいな。
・・・・すみません、あまりの暑さに頭がやられました。
「オバケーション いまどきオバケはハローワーク」(笠尾敦司とオバケーターズ著)という本を見つけたので、早速買ってみた。このプロジェクト(オバケーション)は、子供たちが身の回りを観察し、それを元に面白いオバケを想像するという知育的な面と、こどもたちによって書かれたシートを素材にして、デザイン科の学生らがキャラクターデザインするという実践的な面が関わり合った参加型コミュニティとなってもう10年ぐらい継続して続いているもの。今で言うUGC(user-generated content)の考え方に結構早くから取り組んでいた。これはそこで生まれたキャラクターや活動記録をまとめた本である。帯に書かれた数字、これまでのオバケ投稿数「13867」、そこから誕生したキャラクター「546」という数字からも、本当に子供達に親しまれて育ち続けている企画であることが分かる。そして題名に「ハローワーク」と言葉があるように、オバケ達がさらにこの本から出て仕事を見つける、つまり本を読んだ人を介してバイラル的にそのキャラが広がっていくことを意識しているのが面白い。なるほど、たしかに妖怪は古くから口コミが本質だ。
中はこんな感じ。
中はこんな感じ。
「オバケーション」の本を買ったの続きを読む
知り合いのブログ巡りをしている時に見つけた、札幌私立大の福田さんらがやっておられるコンペのテーマが興味深かったのでメモ。
「人類にとってのエコ」ってのは身もフタもない正直な発言でちょっとビビるが、このへん、最近ちょっと気になっているテーマだったりする。
最近になってますます声が大きくなり始めたCO2削減ブームは、なんだか単純な話に割り切られているように感じて、どうもそこの仕組みがよくわからないのが本音だ。よく知られているように温暖化してるのは事実だとしても、その因果関係や解釈を巡っては色々な見解があるようで、そういう話を読めば読むほど素人的にはもう真偽の確かめようがなく、そのまま思考停止せざるを得ない。
参考リンク:
・環境省が出している「Stop the 温暖化」と、映画「地球温暖化詐欺」(Wikipedia)の比較。
学生らのデザイン提案の指導をしていると、エコのためにユーザーにCO2排出量を意識させるようなテーマは比較的よく出会うものだが、その前提となっていることを疑わねばならないとすると、どうしても提案の妥当性に対しての歯切れが悪くなっていく・・・。人間が「よしよし、環境にやさしいことをしたぞ」と満足できることが決してゴールではないわけだし、もし仮に対策して得られる効果が気休めに過ぎないのなら、そのコストを無視しないで他への優先順位を考えるべきだろう。そんな感じで、考えれば考えるほど具体的なデザインは進まない。うーん、難しい。
でも、視野は広く持っていたいものだ。
ところで、悪の人間関係のセオリーとして、仲の悪い人とうまくやっていくには「共通の敵を作ること」、というのを聞いたことがあるが、グローバルが進む現在、世界中をつなぐ共通言語として環境問題は分かりやすいのかもな。細分化していくパーソナルな物語だけでは社会は築けない。いつのまにかエコが広報活動にすり替わっていく風潮を見ると、そんな奇妙な感想をもつ。
ロンボルグの新刊「地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す 」が最近出たらしい。
レビューを読むと、興味深そうなので読んでみたい。
今年も札幌メディア・アート・フォーラム(SMF)トライアルを開催します。
テーマは、「環境~エコを捉え直す~」です。
今の日本では、環境保全のためのエコ活動が活発ですが、
それって本当に、
「地球にとってのエコ」
「人類にとってのエコ」
になってるのでしょうか?
というのが、このテーマの発端です。
SMFトライアル
「人類にとってのエコ」ってのは身もフタもない正直な発言でちょっとビビるが、このへん、最近ちょっと気になっているテーマだったりする。
最近になってますます声が大きくなり始めたCO2削減ブームは、なんだか単純な話に割り切られているように感じて、どうもそこの仕組みがよくわからないのが本音だ。よく知られているように温暖化してるのは事実だとしても、その因果関係や解釈を巡っては色々な見解があるようで、そういう話を読めば読むほど素人的にはもう真偽の確かめようがなく、そのまま思考停止せざるを得ない。
参考リンク:
・環境省が出している「Stop the 温暖化」と、映画「地球温暖化詐欺」(Wikipedia)の比較。
学生らのデザイン提案の指導をしていると、エコのためにユーザーにCO2排出量を意識させるようなテーマは比較的よく出会うものだが、その前提となっていることを疑わねばならないとすると、どうしても提案の妥当性に対しての歯切れが悪くなっていく・・・。人間が「よしよし、環境にやさしいことをしたぞ」と満足できることが決してゴールではないわけだし、もし仮に対策して得られる効果が気休めに過ぎないのなら、そのコストを無視しないで他への優先順位を考えるべきだろう。そんな感じで、考えれば考えるほど具体的なデザインは進まない。うーん、難しい。
でも、視野は広く持っていたいものだ。
ところで、悪の人間関係のセオリーとして、仲の悪い人とうまくやっていくには「共通の敵を作ること」、というのを聞いたことがあるが、グローバルが進む現在、世界中をつなぐ共通言語として環境問題は分かりやすいのかもな。細分化していくパーソナルな物語だけでは社会は築けない。いつのまにかエコが広報活動にすり替わっていく風潮を見ると、そんな奇妙な感想をもつ。
環境問題を恐れるとき、ぼくたちはどうも短期的な気休めの解決策にとらわれて比較的どうでもいいことにお金を使いがちで、結果としてずっと重要なことに使われるお金を減らしてしまう。水環境や農薬や地球温暖化の問題にしても、リソースを使うときには合理的になってよく考えた発言を下すべきだ。だからといって、合理的な環境管理や環境投資がよいことであることが多いのを否定するつもりはない。単にそういう投資でも、人間活動の重要分野すべてにおける似たような投資のコストや便益とくらべなきゃいけませんよ、って言いたいだけだ。追記:
全体としてぼくは、あまりに楽観的だとそれなりの代償がついてくるけど、あまりに悲観的なのだってそれなりに高くつく、ということを強調しておくことが大事だと思う。
もし未来を信じなければ、ぼくたちはどんどん無力感にとらわれ、無関心になり、おびえるようになる---自分のなかに引きこもるようになる。そして地球のために戦う決意をしたとしても、まともな分析から生まれたものよりも、増大するおびえから生まれたプロジェクトに参加してしまうことになるだろう。
もちろん、単に未来を盲信するわけにはいかない。でも本書の記述と議論は、ぼくたちを非生産的な心配から解放してくれるものだから、大きな影響力を持ちうる。それはぼくたちが社会の有形無形の資産生産に参加しているんだという事実について、新たな信頼を与えてくれるものだ。
<中略>
世界で手に入る食糧が 増えたのは、みんなが心配したからじゃない。先見の明のあった個人や団体が緑の革命を起こしたからだ。ぼくたちが余暇や安全や所得や教育水準を高めたのも、心配したからじゃない。その問題に取り組んだからだ。
ぼくたちは問題に取り組むべきだし、理性的に優先順位を付けるべきだけど、無用に心配するべきじゃない。
「環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態」 ビョルン・ロンボルグ 著 山形浩生 訳 p572-573
ロンボルグの新刊「地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す 」が最近出たらしい。
レビューを読むと、興味深そうなので読んでみたい。
久しぶりに歩いて大学まで行く途中、坂道で原チャリとすれ違った。
前傾姿勢で原チャリを運転している小太りのおじさんは、口をモグモグしながら片手でシェーバーを頬に当てていた。信じられないマルチタスク。人間って凄い。証拠写真取ろうとしたが、腹を抱えて笑っている間に見失ってしまった。
前傾姿勢で原チャリを運転している小太りのおじさんは、口をモグモグしながら片手でシェーバーを頬に当てていた。信じられないマルチタスク。人間って凄い。証拠写真取ろうとしたが、腹を抱えて笑っている間に見失ってしまった。
以前植えた枝豆が、いつのまにか枯れかかっていた。
日当たりもよかったし水も上げたにもかかわらず
結局そんな大きくならなかったのは、
やっぱりプランターでは土から得る栄養が足りないのかな。
植物も人間も、栄養を変換して生きている。
狭い場所で申し訳なかった。
(と、どうでもいいネタでエントリ数を稼ごうとするセコい奴)
日当たりもよかったし水も上げたにもかかわらず
結局そんな大きくならなかったのは、
やっぱりプランターでは土から得る栄養が足りないのかな。
植物も人間も、栄養を変換して生きている。
狭い場所で申し訳なかった。
(と、どうでもいいネタでエントリ数を稼ごうとするセコい奴)
過去の自分の行動履歴をふりかえることで未来の行動に影響を与えたい、という学生の話を聞いていて、Googleリーダーの「週間投稿数」という属性を思い出した。各ブログに一週間にエントリをいくつ挙げているかの平均値が算出されているもので、ユーザはフィード登録時に読者数と共にだいたいどの程度更新されるブログなのかを知ることになる。このレートには、ブログが開設された期間の中で、どのくらい情報が投入されているかのいわば「生命力」が客観的に表されている。
ちなみに、毎日定期的に記事を書いてるブロガーの場合、例えば棚橋さんは、この数値は「6.5」。しょこたんは「112.5」。
で、ここのkamihira_logは、「0.7」。
・・・。
嗚呼、俺は週に一回も書いてないのか(泣)。「週間」というより「習慣」がなってないのかもしれない。しばらく書いてないと、ネタがあっても書こうとも思わなくなっていくしなぁ。
たしかに、リアルにこんな数値突きつけられるともっと定期的に書こうかな、って気になるかも。
#写真は本文と関係有りません。
昨日、半蔵門線大手町駅のエスカレータ途中で見た謎のポスター。
手と目があまりにもキュートすぎたので、写真取るためだけにもう一回上って下りた。
こういうのを収集するのは習慣になっているのだがなー。
最近、ふと思い立ってスプーンを集めている。経費を節約してカトラリーセットじゃなくてテーブルスプーンのみ。そしてコレクションというほど大仰なものではなく、普通に毎日使っている。こうやってならべて見てるだけでは、へぇ色んな形有るんだねぇ、ぐらいしか思わないかもしれないが、実際に使ってみると、「たかがスプーン」とあなどっていたものが、びっくりするぐらいそれぞれの使い心地や舌触りが違うのが分かって、それが面白くてたまらない。食事も楽しくなるってもんだ。
例えばグラタンを食べるときのスプーンを使うプロトコルを簡単に分解すると、柄をつまむ/指で回転させて持ち替える/皿のなかのグラタンにつき刺す/まぜる/寄せ集める/適量に切り分ける/適量をすくう/すくったものを口まではこぶ/口の前で息を吹きかけてさます/口を開けて差し込む/唇や歯でおさえながらひきぬく/噛んでいある間にもったまま待機する・・・などの行為を見つけることが出来る。スプーンというシンプルな道具と料理と人間(の手や口)との間には複雑かつ絶妙な相互関係があるが、通常はこういったことは意識されることはない。けれどもよく観察してみると、思想のあるスプーンは、本当に些細なところまで深く考えて作られている。
パソコンばっかりつかっていると、感覚が鈍っていくのを自分で痛感するので、もうすこし日々の生活のなかで感覚を鋭くしていかなきゃね、ってなわけで「違いが分かる男」を目指して感覚を分化していトレーニングである。
以下、手持ちのものをいくつか紹介。
例えばグラタンを食べるときのスプーンを使うプロトコルを簡単に分解すると、柄をつまむ/指で回転させて持ち替える/皿のなかのグラタンにつき刺す/まぜる/寄せ集める/適量に切り分ける/適量をすくう/すくったものを口まではこぶ/口の前で息を吹きかけてさます/口を開けて差し込む/唇や歯でおさえながらひきぬく/噛んでいある間にもったまま待機する・・・などの行為を見つけることが出来る。スプーンというシンプルな道具と料理と人間(の手や口)との間には複雑かつ絶妙な相互関係があるが、通常はこういったことは意識されることはない。けれどもよく観察してみると、思想のあるスプーンは、本当に些細なところまで深く考えて作られている。
パソコンばっかりつかっていると、感覚が鈍っていくのを自分で痛感するので、もうすこし日々の生活のなかで感覚を鋭くしていかなきゃね、ってなわけで「違いが分かる男」を目指して感覚を分化していトレーニングである。
以下、手持ちのものをいくつか紹介。
スプーン・コレクターの続きを読む
「忙しい」は言い訳にもならないのだが。この時期はどうしてもブログ放置しちゃうなぁ。さて、週末には広島国際大学であったデザイン学会に行ってきた。仕事は山積みのまま、なんとか移動中にでも進めようとおもいつつ結局はかどらず・・・。
・目当ての発表もあまり聞くこともできず残念。聞いた中では愛産大の村上さんの「なないろくれよん」(スポイトのように色をすくって天井のプロジェクタに描画するデバイス)の発表が面白かった。色を採集するためにあちこち走り回りたくなるってところがステキだ。
・学会は滅多に会わない人と近況交換できるのが面白い。某大型プロジェクトは大変そうだ。数名の関係者の話を聞いていたら、みんな一理ある気がしてきて、それぞれの分野からの視点はなんだか「藪の中」のような印象をうける。異分野コラボレーションって難しいねぇ・・・。(N君がんばれ)
・一方で、病気と闘うこどもたちのためのデザインプロジェクトを進めるO先生からは熱い話と展望を聞かせていただいく。テレビで取材されたり、大規模予算を獲得したりと徐々に世間に評価してもらっているよう。いろいろネタ交換しながら、はたして俺はこの人ぐらいデザインの力を社会のために使っているんだろうか、って自問させられた。
・写真は夜の懇親会で見たケーキのタワー。ゴージャスに見える。たかい参加費を払っておきながら、結局ほとんど食べれず。帰りにお好み焼きを食べて翌朝帰京。
・目当ての発表もあまり聞くこともできず残念。聞いた中では愛産大の村上さんの「なないろくれよん」(スポイトのように色をすくって天井のプロジェクタに描画するデバイス)の発表が面白かった。色を採集するためにあちこち走り回りたくなるってところがステキだ。
・学会は滅多に会わない人と近況交換できるのが面白い。某大型プロジェクトは大変そうだ。数名の関係者の話を聞いていたら、みんな一理ある気がしてきて、それぞれの分野からの視点はなんだか「藪の中」のような印象をうける。異分野コラボレーションって難しいねぇ・・・。(N君がんばれ)
・一方で、病気と闘うこどもたちのためのデザインプロジェクトを進めるO先生からは熱い話と展望を聞かせていただいく。テレビで取材されたり、大規模予算を獲得したりと徐々に世間に評価してもらっているよう。いろいろネタ交換しながら、はたして俺はこの人ぐらいデザインの力を社会のために使っているんだろうか、って自問させられた。
・写真は夜の懇親会で見たケーキのタワー。ゴージャスに見える。たかい参加費を払っておきながら、結局ほとんど食べれず。帰りにお好み焼きを食べて翌朝帰京。
