Education: May 2008アーカイブ

iamas1.jpg気がついたらもう一週間経過してしまったが、手短に記録を残しておこう。先週の土曜日、岐阜県大垣市のIAMASを訪問してきた。プロトタイピングのためのツールキット、GAINER/FUNNELを使った「フィジカルコンピューティングでスケッチ」ワークショップに参加するためである。内部生向けとして開催されたものに、開発者の小林茂さんのご厚意で特別に参加させて頂いた。写真は、キャンパス正門。(お約束ながら)暴走族の落書きではなく、IAMASとサインしてある。


新卒予定の人たちに歴然と表れている「差」について、あるCTOの指摘。
可能性が感じられる人、というのはつまり、自分が何をしたいか明確に分かっていて、かつその分野の体系的な知識を身につけている人たちです。現時点ではそんなに多くを習得しているわけではないにせよ、体系全体を理解していますから、自分がどこまで知っていて、未知の領域がどのくらいあるか、感覚でつかんでいます。
断片的な知識と体系的な知識
(学生の勉強不足は論外としても)今の情報環境自体が断片的なものなので、情報に接する態度によって差が開いていく傾向は今後ますます強くなっていきそうな気がする。技術者だけではなく、おそらくどの分野にも通じる話なので、大学で教育している側としても責任感じる話だ。同様のことを指摘した内田樹の言葉を思い出したのでこちらも引用してみよう。

教養の深浅は、自分の「立ち位置」を知るときに、どのくらい「大きな地図帳」を想像できるかによって計測される。教養のない人というのは、「自分が何者 で、どこに位置しており、どこへ向かって進んでいるか」を考えるときに、住んでいるマンションの間取り図のようなものしか思いつかない人のことである。教 養がある人というのは、世界史地図のような分厚い本を浮かべて、そのどのあたりの時代の、どのあたりの地域に「自分」を位置づけたらいいんだろうと考えら れる人のことである。
子どもは判ってくれない」洋泉社 2003

うーむ、こういう問題は自分の欲求の趣くままに生きているだけではわかりにくいし、自ら気付くにせよ、気付かされるにせよ、他者からの影響は必須だよな。

個人的な見解になるが、体系的な知識とは、学校で準備して一定のラインをパスすれば認められるようなものではなく、自分の視点を上げてメタに俯瞰し、ものごとの文脈的な前後左右(関わり合い)を見渡すようなイメージだ。だから、個々の知識のパーツをガシガシと組み合わせて一定の構造を見出すまでのトレーニングを積む学習の量としては同じでも、同時にそれがどんなかたちしているかをときどき引いて見る努力、自分の学んでいる知識を異分野の人にわかるように語り下ろす努力(つまり他のコミュニティとの接点における自己省察)が重要なんじゃないか、と思った。そういうことが普通に行われるような環境づくりなのかも、と。


uchida.jpg
 金曜の午前中、江東区にある内田洋行の潮見オフィスまで3年生全員と訪問。一部学生らの服装に冷や汗をかきつつ、ショールームにお邪魔させていただく。ハイテクな製品に好奇心丸出しで歓声をあげる若者らの反応は、中の人達には新鮮だったようでかなり面白がられたが、引率する側としてははしゃぎっぷりにますます冷や汗をかく。朝っぱらの時間帯、貸し切り状態で助かった。

 見学させていただいたのち、ミーティングルームにて学生らが進行中のプロジェクトについて手短にプレゼンする機会を設けて頂いた。まだ企画もちゃんと固まってないながらも、現時点での問題意識と調査内容を聞いてもらうために、学生らは徹夜して発表用の資料をファイリングして持ってきたようで、そのへんは流石にただの社会科見学に来たのではないという状況を読んでいた。そして、さきほどの状態と比較して、コメント聞くときの相当な真剣さには、ちょいと感心。鋭い指摘と温かい励ましの言葉を頂いたが、まぁ、これからだよね。頑張ろう。
学生らはその後、3限に間に合うように大学に帰っていった(・・・のだろうか?)

 こういった実社会の現場と接する機会には学生らの意識が変わるのが実感できて、なかなか有り難い。学内にいると、なかなか自分たちの問題意識が社会と繋がっている感覚がもてないが、自分たちが考えていることとそこまで切り離されているわけじゃないことや、プロでも(いやむしろプロだからこそ)地味なフィールド調査で生のユーザの様子を重視していることを知ってもらえれば、とりあえず目的は達成できたかな。
 学生らには、決して学内発表会をゴールにせず、もっと広い世界に挑戦することを意識して欲しいと思う。そもそもそのためのプロジェクト演習なのだから。


 最後になりましたが、次世代ソリューション開発センター・ユーザーセンタードデザインチームの皆様、お忙しい中、学生の相手をして頂いてありがとうございました。感謝いたします。


参考:
UCDチームによる、@IT連載記事「モノ/ヒトをつなぐこれからの「場」のデザイン」
第1回 ユビキタス時代の「場」づくり入門
第2回  こだわりCDを多くのユーザーに快適に試聴させよ
第3回 人間の感覚を信じて情報を切り捨てるデザイン



DSCF0027.jpg金曜日は、新横浜にてプロトコル分析講習会2日目に参加。この講習会は、横浜デジタルアーツの情報デザイン研究室が長年積み重ねてきた秘伝のユーザビリティ関連のノウハウを、研究室主宰の浅野先生のご厚意で複数の学校のゼミ向けに開いて頂いたもので、専修大学からは4年ゼミ生8名+3年有志3名+僕の12名で図々しくお邪魔してきました。この分野のプロフェッショナルの方(島村さん、易さん)を講師にお迎えした本格的なもので、ここまで充実したワークショップ形式の講習会がなんと無償というのは学生共々感謝しきりです。浅野先生、島村さん、易さん、どうもありがとうございました。学んだことは学生らがこれからの制作に大いに活かしてくれると思います。

講習会は、素材準備編(5月2日)、第一回プロトコル分析書き起こし編(5月9日)、第二回ロギングツールOBSERVANT EYE編(5月15日)の3週連続で行われました。浅野先生が詳しくレポートしてくださってますので、ここでは講習会の感想とメモを。


・題材の一つだった某メーカの電波時計(※講師の三方が家電量販店で膨大な数の時計をいじり倒して選んだ)の設定ルールはこの上無くわかりにくく、「今の時間にあわせてください」という簡単なタスクすら被験者はみんな苦しんでいた。手がかりを探して試行錯誤しづつける様を改めてビデオで追うと大変興味深い。画面が返すフィードバック情報が手がかりとして如何に重要か思い知る。

・今回は予定より人数が多かったため(うちの学生が多かったせいもある・・汗)、準備編で一部学生だけでユーザテストの映像データを作成しておき、解析の手法を中心とするというメニューだったが、やはり最初にユーザテスト本番に参加していたかいなかったかは、解析時の気持ちに差が出るのかもしれない。また、今回はできかったが、分析する前に対象物をよく触り自分で確認してみることは本来は重要とのこと(易さん談)。

・専用に開発されたロギングツールは分析を効率化してくれるけれども、画面に反応してボタンを押すより、映像の停止と再生を繰り返しながら手書きでコツコツとプロトコルを書き起こしていくほうが、ユーザの行動に入り込みやすく集中力は高いとのこと。なるほど・・。確かに一日目の緊張感に比べて二日目の方が学生らに疲労が見えた。

・製品やシステムは、マニュアルを見なくても有る程度試行錯誤で操作のルールを学習していけるように作ってなくてはならない。同様にウェブだって滞在時間の中で訪問者の活動との動的な関係にあり、決して止まった世界に存在するわけじゃない。こういった解析の経験は作り手が発想の元にする訓練としても有効だと思う。テストや観察は、最終段階じゃなくて設計プロセスの円環の一部なのだ。

・発話の解析は実に地道な作業だけど、はっきりとデータで確認できるので他人への説得力も強い。メソッドとしてちゃんと体得すれば学生にとっても相当な武器になりそう。実際、浅野先生の研究室の学生さん達は研究室で身につけた技で企業との共同研究を活発にやっており実績も多く残しているそう。我々の学校でも教室で閉じるのではなく、実践のことをもうすこし考えていかなければ。今度のカリキュラム改訂に向けて、こういった演習を育てていけるようにラボの環境を整えよう、とひそかに誓った。

・参加者への事後アンケートによると「バックグラウンドの違う人と話して、視点が違うのに驚いた」という意見が非常に多かったとのこと。ふむ、デザイン系の学生が多い中、この点、うちの研究室のNSコース陣は貢献できたのかな?。普通に生きているとついつい自分の解釈が当たり前って思いがちなので、多様な見方を知れるのはいいことです。

・最後の懇親会の頃には、だいぶ疲れていたようだけど、みんな「とても勉強になった」と言っていて良い機会に恵まれたと思う。いつも甘えてばかりではなく、僕の方でもなにか企画しなきゃな。


就職って終わりじゃなくて始まりなんだからさ、そこをよく考えて生きろよ、とは思う。特にIT業界なんか新卒での就活に失敗したってリベンジのチャンスが山ほどあるんだから、仕事に打ち込んで胸を張れる成果を出すなり、コミュニティで人脈を広げるなり、長丁場の勝負を意識しつつ投資することが大事なのだろう。そして本当の強みは形式的なスキルや資格とかじゃなくて、コピペしようのない経験に裏打ちされた人となりだということを忘れないで欲しい。
僕の記事は就活のアドバイスじゃないよ--雑種路線で行こう


自信の有無は顔に出るというけれど、「人柄」という一見あいまいに見える基準にも、実は過去20数年積み重ねてきた経験や意思決定が色濃く反映されている。学生時代はそういう自己責任からなんとなく逃げられても、就活の選考の際には否応なく直視させられるから(人によっては)自分と外部の評価のズレを突きつけられて辛いのかな、と思う。学校という枠組みでは、個人の能力差はあってもフラットに同じ場所にいるような錯覚があるので余計に強調されそうだ。

楠さんが言うように『就職は終わりじゃなく始まり』に過ぎない。普通に計算すれば人生で何十年か働くことになるのだし、今評価してもらえないのは現時点ではそこまでの自分だと割り切って、ちょっとずつチャンスを生かして実績を積んでいけばいいのでは。とりあえず「自分はこうだから」「何型だから」と決めつけないで、ダメだったことはちゃんとチェックするなり(受けるなり)して、自分を向上させていく姿勢を持つことをお勧めします。

このアーカイブについて

このページには、May 2008以降に書かれたブログ記事のうちEducationカテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブはEducation: April 2008です。

次のアーカイブはEducation: June 2008です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

購読する このブログを購読

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

Powered by Movable Type 4.0