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ドナルド・ショーンのThe Reflective Practitioner(1983)の完訳版が昨年末に出たことを知って、早速購入してみた。
これまで訳書として知られていたのが、左の「専門家の知恵-反省的実践家は行為しながら考える-」(2001)で、日本の情報デザイン教育で取り入れられた"リフレクション"の理論的ルーツというべき重要な本だが、残念ながら理論の中心部分だけに絞られている部分訳で、残り大部分を占める「専門家の思考の事例研究」部分はカットされている。それが訳されているのが今回の完全版「省察的実践とは何か-プロフェッショナルの行為と思考-」(2007)である。その事例は、建築デザイナー、カウンセラー、都市プランナー、経営マネジメント・・・など。プロがプロたる所以の行為の詳細なプロトコルが分析されていて面白い。
残念ながらアマゾンでは品切れですが、僕はジュンク堂のオンラインショップで買いました。
これまで訳書として知られていたのが、左の「専門家の知恵-反省的実践家は行為しながら考える-」(2001)で、日本の情報デザイン教育で取り入れられた"リフレクション"の理論的ルーツというべき重要な本だが、残念ながら理論の中心部分だけに絞られている部分訳で、残り大部分を占める「専門家の思考の事例研究」部分はカットされている。それが訳されているのが今回の完全版「省察的実践とは何か-プロフェッショナルの行為と思考-」(2007)である。その事例は、建築デザイナー、カウンセラー、都市プランナー、経営マネジメント・・・など。プロがプロたる所以の行為の詳細なプロトコルが分析されていて面白い。
ペトラ(※学生)は、問題を解決しようとして行き詰まっていた。クイスト(※師匠)はペトラが設定した主要問題について批判的に省察をおこない、問題の枠組み転換をおこない、ねじれた敷地にあてはめる新しい幾何学的配列という結果を生み出すことへ向かっている。<中略>クイストはこの作業をしているうちに選択の享受から込められた意味の受容へ、局所的なユニットのとり組みからその結果生じる全体に関する距離を置いた考察へ、一時的な検討のスタンスから全面関与のスタンスへと変化するのである。クイストは状況からの応答を聞きながら今後講ずる手だてのための意味の体系を生み出すまったく新しい考え方に気付く。(第三章 状況との省察的な対話としての建築デザイン p112)
残念ながらアマゾンでは品切れですが、僕はジュンク堂のオンラインショップで買いました。
青学の鈴木先生が書かれた興味深い文章を見つけたのでメモ。
ブログがゼミの議論の質を飛躍的に高めたという話。
ブログを書いて読み返すこと自体がリフレクションになることを考えると、確かに"外化"することは極めて重要なことだと思う。以前、楠見先生も同様のことを仰っていたので、認知科学者はだいたいそういう見解を持っているようだ。それにしても、そんな変わるって本当か?と疑念が湧き、自分で確認してみようと探して見たが、その該当ブログは公式ページからは見つけられず。記事はひとつ発見3年生のゼミに導入したときには、多くの学生が課題となった論文や、自分の抱えているテーマについて活発に記事を投稿し合い、そのレベルはあっという間に大学院レベルのものとなってしまったのである。
ブログの何が彼らを高めたのだろうか。最も重要なのは「外化」である。自らの考えやアイデアを、発話、メモ、文章、ジェスチャーなどの方法で外に出してみることを、認知科学では外化と呼んでいる。ブログによる外化は、言語というメディアを通すこと、他者を想定することなどが含まれ、これらが学習の向上に役立つことは多くの人の指摘するとおりである。
3年生のゼミを院生レベルに高めたブログの「外化」効果
ちなみに、うちの山下先生も授業支援ブログを2004年から開発していて、鈴木先生と一緒に勉強会されたりしているのだけど、3年間そのシステムの運用の様子見ていて、そこまでの"劇的"な変化はないけどなぁ。言語能力の差か?(笑)ブログ導入自体が理由じゃなく、(メンバー間の刺激とか、新しいメディアの刺激とか、はてには先生の指導とか)いろいろ他の要因も大きいはず。
ただ、いつも痛感するのが、最初はノルマを課されていやいや書くにしても、時間が経てば少しづつその意味やら面白さは分かってくるものらしい、ということ。学習にはそれぞれに合った時間が必要だ。最初は不満言いながら書いていた学生らが、学年上がるにつれて、自主的に自分たちのプロジェクトの活動記録やメンバー間のやりとりを公開するようになる例は沢山みてきた。
そういうのをみていると、最初から必要性がわかることばかりではなくて、ガタガタ言わず書けときっかけをつくることは、ある部分では大事なんだなと思う。バイキングのように食べる前に主体的に選ぶようなこと続けていたら、そういう面白さには出会うことは無い。
"ブログが学びを促進させる"ということについては、似たことを何かで読んだな、と思い出したのが、fladdict深津氏が書いていた文章。のちに「ウェブ進化論」(梅田望夫)にも引用されたエントリだ。
実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。それはこの1年半の過程で身をもって実感した。<中略>ブログを通じて自分が学習した最大のことは、「自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで(無形の)大きな利益を得られる」ということに尽きると思う。
知的生産性のツールとしてのブログ
fladdict氏も仕事始めてからブログへの優先順位落ちたようだし、鈴木先生も最近書いてないし、質を維持し続けるのは大変なんだろうな。学生のゼミやプロジェクトのブログは、期間限定なところが区切りつけやすい。
