Interface: January 2008アーカイブ
今朝の朝日新聞で腹話術のゴローちゃんが記事になっていたのを見た。ある腹話術師から存在を聞いたこと有るが、へぇ、こんなに活動されてる方だったとは。唇をほとんど動かさず声を出し、手にした人形が話しているかのように思わせる「腹話術」。川崎市幸区を拠点に活躍するプロの腹話術師の城谷護さん(67) は、全国の被災地や過疎地を巡りボランティア公演を続けている。新年も相棒のゴローちゃんとともに東京・三宅島に渡った。「多くの人を笑顔にしたい」。芸 にはこんな思いが込められている。記事にもあるけど、腹話術人形に対する子供達の人気ぶりは結構すごい。人形がまるで命が宿ったようにしゃべり出す芸を前にすると、写真のように不思議と笑顔になる。
asahi.com 腹話術で元気よとどけ
大人の言うことは聞かない子供でも、人形には心を開いたりする事はよくあるという。だから小児科の看護婦さん達も勉強したりするんだそうだ。一種のコミュニケーションデザインでもあるわけで、非常に興味深い。この辺の知見を高めるために、最近、パペットセラピー学会ってのも出来たらしい。
人を元気にすることができる芸ってなんだか羨ましい。
ついでに、コミュニケーション用のロボットのインタフェースもこの分野に学ぶことがあるな、と思った。
再び写真のお蔵だし。数年前にどっかの駅(確か新橋駅あたり)で撮影した気がする。
手書きの強調がいじらしい。書き手とゴミ捨てる人のコミュニケーション。
頑張ってアイコンを整えたであろうデザイナーはこれ見ると考え込むだろうな。
そしたら数日前、生田緑地の枡形山広場で、もっと凄い事例を見た。
手書きの強調がいじらしい。書き手とゴミ捨てる人のコミュニケーション。
頑張ってアイコンを整えたであろうデザイナーはこれ見ると考え込むだろうな。
そしたら数日前、生田緑地の枡形山広場で、もっと凄い事例を見た。
ガミガミ・インタフェースの続きを読む
新年早々、サッカー分析者の共同研究の発表準備が佳境。数ヶ月間の実地研究として某Jリーグのチームに入り込んでいた4年のM君は、その能力を買われ、結局内定した会社を断り、チームスタッフとして雇われることになったという。映像を戦略的に利用している例はまだ少ないらしいので、意外とこの分野のパイオニアになったりして。
ところで、M君と飯田先生がKJ法で研究内容をまとめていたのだが、その手法が面白かったのでメモ。
写真はデータからまとまりを作っているところで、まあ普通のKJ法のやり方なのだけど、素材となるデータはスタッフへのインタビュー等から得た情報を圧縮したもので、ポストイットではなく、最小限の情報を記入した特製カードをちゃんと作成している。そのコピーを使って、ある一つの視点から分類していくというもの。断片化させすぎると、もともとフィールドにあったはずの因果関係を失ってしまうこともあるので、大事なことかもしれない。
KJ法はせっせとまとまりを見つけて分類するのは楽しいし、手を使うのでなんか仕事している気になるけども、分類して悦に入ったって何も生まれない。
この手法のキモは、"無いものを見る"ことなんだろう。
少しづつ構造化される関係図を睨みながら、行間ならぬ図間を読むのはそう簡単な事じゃない。
4年ぐらい前、ブレインライティング法(635法)で書かせたシートを切って、さらにKJ法で分類するというのを思いつき、演習でやってみたが、
「ここからどうするんですか?」
という学生の素朴な一言で結構凹んだことがある。連想ゲームを小手先で並べかえているに過ぎなかったのだ。そこでフリーズされては発想法の意味がない。メソッドは使い方を誤ると肝心の推論を妨げかねないことを学んだが、一方で原書の通りに正しい(?)KJ法を理解しても、分類や構造化はうまくできるようになるかもしれないけど、図から見えないものがすいすいと読めるようになるかというと、そういうこともない気がする。ファシリテーションのタイミング次第で発想に繋がったり繋がらなかったりもするわけで、やればやるほどこんな有名なメソッドでも使いこなすのはなかなか難しいものだと思い知る。
ところで、M君と飯田先生がKJ法で研究内容をまとめていたのだが、その手法が面白かったのでメモ。
写真はデータからまとまりを作っているところで、まあ普通のKJ法のやり方なのだけど、素材となるデータはスタッフへのインタビュー等から得た情報を圧縮したもので、ポストイットではなく、最小限の情報を記入した特製カードをちゃんと作成している。そのコピーを使って、ある一つの視点から分類していくというもの。断片化させすぎると、もともとフィールドにあったはずの因果関係を失ってしまうこともあるので、大事なことかもしれない。
KJ法はせっせとまとまりを見つけて分類するのは楽しいし、手を使うのでなんか仕事している気になるけども、分類して悦に入ったって何も生まれない。
この手法のキモは、"無いものを見る"ことなんだろう。
少しづつ構造化される関係図を睨みながら、行間ならぬ図間を読むのはそう簡単な事じゃない。
4年ぐらい前、ブレインライティング法(635法)で書かせたシートを切って、さらにKJ法で分類するというのを思いつき、演習でやってみたが、
「ここからどうするんですか?」
という学生の素朴な一言で結構凹んだことがある。連想ゲームを小手先で並べかえているに過ぎなかったのだ。そこでフリーズされては発想法の意味がない。メソッドは使い方を誤ると肝心の推論を妨げかねないことを学んだが、一方で原書の通りに正しい(?)KJ法を理解しても、分類や構造化はうまくできるようになるかもしれないけど、図から見えないものがすいすいと読めるようになるかというと、そういうこともない気がする。ファシリテーションのタイミング次第で発想に繋がったり繋がらなかったりもするわけで、やればやるほどこんな有名なメソッドでも使いこなすのはなかなか難しいものだと思い知る。
