Interface: June 2008アーカイブ

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 今後の情報社会のなかでのデザイン行為について悶々と考えていたところ、アドリアン・フォーティの「欲望のオブジェ-デザインと社会1750-1980」という名著を思い出した。Amazonではとんでもない値段がついていて、さすがに買う気は失せるが、専大の図書館で検索したらなんと3冊も入っている。専大GJ。というわけで、早速借りてきて読んだ。

 この本の中でアドリアン・フォーティは、歴史を追いながらプロダクトのデザインは「デザイナー個人の創造性」だけで成り立っているのではなく、社会的・経済的なさまざまな観念(イデオロギー)との関係で生み出されるという視点で読み解いていく。衛生や清潔の観念が生み出されて衣食住がピカピカになり、何もかも自動化してくれるというユートピア的な生活の観念が生み出されて電化製品が発達する。もちろん自然発生的にそんなものが生まれるわけはないので、当然ながら当時の社会や産業の状況が与える影響は大きい。そんな感じで人々の中に生まれた欲望の観念こそがオブジェに変換されていくのだと。
衛生も省力化もともに今世紀の人々にとって重要な問題だったが、それが家庭用器具にあらわされる場合には、メーカーが自分たちの商業目的に合致すると想定した方向で手が加えられたら、足し算引き算が行われてきた。観念や信念を変貌させるという点では、成功したデザインは錬金術に似ている。つまり、それぞれ異なる出自を持つさまざまな観念を融合させ、仕上がった作品の形態はただひとつだけの観念を体現していると見えるようにするのだ。だが、それが至極なじみやすい形ででてくるので、われわれはそれを自分たちが常日頃考えていたものだ、と思いこんでしまう、というわけである。
<中略>
どんな製品にしろ、それを原料の不定形の山以上のものにさせてきたのは、唯一観念だけである。かたちを生み出すのがデザインだとすればその力はイデオロギーと素材という結合を通じてのみ発生する。そのどちらかでも欠ければこの結合は起こらないのだ。(pp.279-280)

 通常のデザイナー主体のデザイン史に対するクリティカルな語り口は、なんというか実に身もフタもない。近代デザインの源流をウイリアム・モリス以外に見る考え方もあるんだな。
 一通り目を通したが、fladdict氏が言及した「不安や不便の発明」に関する記述は書籍内ではよくわからなかった。彼がここから洞察して展開した話なのかな。随所で語られる歴史の中での人々の観念の姿は、ある意味では不安と表裏一体と言えなくもない。

さて、この先の情報社会に生み出される観念は何だろうか?
その前に、それを投影するための想像力を持ち続けられるんだろうか。

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